福井鉄道に行った802号と803号が豊橋鉄道に譲渡されるようですね。
2005年の美濃町線廃止後、生き別れになった800形ですが、14年ぶりに全車が揃うことになります。
福井から豊橋に来る802号と803号がどんな塗装になるのか、
運動公園前にも恒常的に入るようになるのか、
代替で廃車になるのは何か等々興味は尽きません。
出来ることなら、1両ぐらい名鉄時代の塗装で走ってくれれば言うことないですね(笑)。
800形の更なる活躍を祈って、本日は、800形の名鉄時代の活躍を振り返りたいと思います。
野一色に停車する801号。
野一色を発車した802号。
ここからは廃線間際の写真になってしまいますが・・・・・
市ノ坪を発車する801号。
2005年1月に新岐阜駅が名鉄岐阜に駅名が変わったので、
3月の廃線までの間、美濃町線の電車は”新”の文字を隠していました。
ちなみに、車内の自動放送はそのまま使われていたはずです。
再掲です。日野橋付近を行く801号。
改めて写真を見返すと、ひなびた雰囲気だった美濃町線を近代的な800形が行くのは何ともミスマッチな感じがしますね。
800形以後も他社では多数超低床車が登場しましたが、
乗り心地面では、800形の右に出るものは未だ登場していないように思います。
それだけ、名鉄の開発担当の方が苦心されたということなのでしょう。
最後に、こちらも再掲ですが、ローレル賞授賞式の時に行われた記念撮影会の写真を貼って終わりたいと思います。600Vの写真もどんどん貼って行きたいと思いますので、リクエスト等があればぜひ教えてください。
古いネガフィルムをデジタル化したら、懐かしい写真がたくさん出てきたので、
今回は、これまで2度ほど取り上げたパノラマsuperの旧塗装時代の活躍を続編として取り上げたいと思います。
前2回の、パノラマsuperの旧塗装時代1、パノラマsuperの旧塗装時代2もぜひご覧ください。
はじめに、とても懐かしい写真から。
併用橋時代の犬山橋を渡る1000系(B4)。
1998年9月の撮影だと思います。
1000系8両も走行していたおり、ミュージックホーンを高らかに自動車と並走する姿は迫力満点でした。
少し変色してしまってますが・・・・・
犬山橋の鵜沼方での1000系同士の交換(1999年4月撮影)。
橋梁上での交換は、様々な観点から不可だったようで、橋の上ですれ違ってしまいそうなときは、
橋の手前でどちらかが停車して、交換してから発車していました。
続いて、つい最近まで見られた光景ですが・・・・・
知立駅に到着するB2編成(1998年8月撮影)。
パンタグラフの位置から、1230系だと思われます。
写真の右下のところに置かれた方向板が懐かしいですね。
少し前のありふれた光景。
東枇杷島にて(2004年8月撮影)。
木曽川堤~黒田にて(2007年3月にて)。
並びシリーズ(?)。
中部国際空港にて(2005年8月撮影)。
B2は通常ダイヤでは空港には乗り入れなくなり、2000系は専用の1番線以外には入線しなくなったので、
このような並びは今では見られません。
2000系の”快速特急”表示も今では見られなくなりましたね。
須ケ口にて(2008年2月撮影)。
今回は、最後に1600系の写真を上げたいと思います。
米津~桜町前にて(2008年6月撮影)。
上の写真の電車の折り返し。
1日1本だけあった1600系の重連の特急(2008年6月撮影)。
以前上げた2000系代走の快速特急での運用時とは異なり、編成間の幌は使用していなかった記憶があります。
今の1700系の豊橋方だけでも、パノラマsuperの表記を復活してくれないかなとたまに思うのですが、1000系ですら取られてしまっているので、無理な話でしょうね・・・・・
パノラマsuperの旧塗装シリーズ、
また写真が出てきたら、UPしようと思うので、楽しみにお待ちください。
おわり。